知るより先に思う癖がプー太郎を生む

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思うより前に知ること。

先に<思う>ということはあくまで感情の問題で、意見も無責任になりやすい。

そう強く感じるのは、誰かと政治、経済、歴史の話をしているとき。

思うことは確かに多い。

しかし知らないことばかり。

いつも自分の知識のなさを痛感し、受動的な姿勢になってしまう。知識がなければ能動的にはなれない。

では、なぜ自分は政治を知らないのだろう?

日本人、特に若者の間ではこの一種の知的コンプレックスが蔓延していると感じる。

<関心がない>というのは本当の理由ではないだろう。

だって消費税増税の問題になれば誰しも文句のひとつやふたつは言う。

それは十分な関心ではないだろうか。

僕は<思うという感情が先に働くこと>が癖になっていることがひとつの理由かも、と密かに考えている。

何か新しいものが登場したときも同じ。

まずは<信用できない>など感情が動く。細部はおろか全体像を把握していないにも関わらず、<思い>始めてしまう。

思う行為の先行は歳を取るにつれ更に強くなるが、僕の周りの同年代、20歳前後の人たちにもよく見られる。

恐らく、今は<人の意見を聞くより自分の意見を主張すること>が大切な時代なんだろうと思う。

実体験した時代が平成しかない僕は他の時代と比較できないれけど、本を読めば読むほどそう思う。

社会の発展、自分自身を発展させていくためにはまず知ることが大切なんだと感じる。

知るために頭と体を動かす。

知らない段階での思うという行為は

かなり惰性的で受動的だ。

思うは守りの姿勢だ。

自分の意見という前置き的なニュアンスが盾となるから、意見に不備が見つかれば<あくまで自分の意見>と回避できる。

だから思うでは社会を変えられない。

つまるところ、自分も変えられない。

ずっと思ってきた僕がこんなプー太郎(仕事はしてるが頭の中がプー太郎という意味)

なのが今回の意見の証明である。