なぜ中華料理屋のテレビから侵入してくる思考までと戦わなければいけないのか

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もし自分が犯罪を起こしたら?

もし自分が人を殺したら?

もし自分が気づかぬうちに自殺をしたら?

ブログでこんな狂気じみたことを書くのはさすがの僕でも躊躇うが、子供のときからこのような妄想的で否定的な思考と共に生きてきた。

上記のような妄想的思考は<侵入思考>と呼ばれている。

侵入思考は強迫性障害患者によく見られる症状のひとつ。妄想的な思考が頭にへばりついてしまい剥がれなくなってしまうことだ。

 

子供のときからと言ったが、子供のときの妄想のほとんどは楽しいものだった。ほんの数パーセントが侵入思考的な妄想。だから怖かったがすぐに忘れることができた。

しかし大人になるにつれ、侵入思考の頻度も強度も増した。

もちろん僕は犯罪を犯したいわけではないし、どんなに憎いやつができたとしても殺すのは御免だ。

しかし、どこからかそのような思考が頭の中で生まれてしまう。

 

僕の侵入思考には<他者にダメージを与えるケース><誰かもしくは何かからダメージを与えられるケース>の2つがある。

後者の代表例は<家族の死>だ。

特に心臓病を患うお爺ちゃんが死む瞬間についての思考はよく襲ってくる。

そして、次に自殺だ。

これらが僕の侵入思考ランキング上位の思考である。

 

 

侵入思考とはつまるところ

<世の中で“いけない”とされる物事を頭が勝手に思考してしまうこと>だと言える。

侵入思考はひょんなことで生まれて僕の頭を離さない。

 

友人と中華料理屋でラーメンにするか、酢豚にするか、を迷っていたとき。

テレビから<殺人事件>のニュースが流れた。

アナウンサーが発する言葉がイメージとして頭の中に浮かんでくる。そして、次の瞬間には<自分もいつか人を殺してニュースに流れるのではないか>という思考が生まれてしまう。

結局、気分が悪くなり頼んだ酢豚のほとんどを残して店を出る。

もちろん店を出た後も侵入してきた思考と戦っている。

オレはそんな人間じゃないぞ

そもそも殴られても殴り返したことなんてないじゃないか

大した人間じゃないが並みの人間の倫理観は持っているはずだ

自分にそう言い聞かせてる。

(ちなみに対処法として“言い聞かせる”のは良くないです)

 

日々、テレビでは殺人、自殺、テロなどのニュースが流れる。

だから恐くて観れない。

人を殺す戦争のテレビゲームすらもプレイしたくない。

駅のホームにある<自殺防止でんわの看板>なんて見ただけで、最悪な気分になってしまうときもある。

この侵入思考が原因と断言していいのか分からないが、いつからか自分は生きるに値しない人間であり、このまま生かしておけばとんでもないことに発展すると考えてしまっていたときもあった。

まぁ侵入思考から生まれたただの自己嫌悪みたいなものである。

 

こんなことを書くと人は

今にでも僕を精神病院にブチ込みたくなるかもしれない。

気持ちはわかる。

 

もし僕が精神疾患の知識を全く持ち合わせていない精神的健常者だとして

突然、仲のいい友達に

“オレもし自分が人を殺してしまうのではないかって思考が頭から離れてないんだ”

って言われたら

普通にビビる。

もし僕が精神疾患の知識を全く持ち合わせていない精神的健常者だったら

食べかけの酢豚をそいつの顔にかけて速攻で逃げるね。

間違えないね。

 

でも

その程度の友人なんて早めに捨てておけ。

 

中華料理屋で数あるメニューから料理を選ぶように、付き合う友人もしっかり吟味して選んでいかないといけない。

幸い僕の友人たちはなぜか僕のメンヘラ性を理解している。ある友人は僕がパニック発作を起こしたときに手をずっと握ってくれたこともある。

 

だから友人は僕にこう言う。

“そんなくだらない妄想に明け暮れてないでさっさと酢豚食え”って。

 

侵入思考の話は一旦置いておいて

オレは今、

“ぶっちゃけラーメンにすれば良かった”って思ってるんだ。

 

 奢ってもらう身としてそうは言えない。

 

人は皆「秘密」を抱えながら生きている。

墓場まで持っていくのもいいが、僕はなるべく道中でポロリする。

 

おわり

 

---------加筆---------

こんなメンヘラチックな文章を書いてしまうと、まるで僕が生きるのに苦悩している人間に見えてしまうだろう。

悩まない人間はいない。

そして、実際の僕の人生は精神的な病を除けばけっこうイージーモードである。

何か夢中になれる対象があるときはそれがスーパーイージーモードになる。

退屈が侵入思考等の精神症状のトリガーとなるのは自分の中ですでに証明された事実だ。