雑文3.自分がやったんだと言えますか

僕は掃除の仕事をよくしている。

 

厨房の皿洗いのアルバイトから始まり、安宿に学生寮など、掃除が中心の仕事ばかり。

 

しかし、普段は掃除をしない人間だ。

 

中学生の頃、僕の部屋の汚さに驚愕した母親は<もうこれは病気だね>と言ったほど、僕は掃除をしない。

母がしびれを切らして勝手に部屋を掃除することがあった。しかし、その散らかった部屋は僕にとっては王国であった。自然と縄張り意識が働いていて、<ありがとう>と言いながら<なんで掃除しちゃうだよ!>と心で放つ。

 

<勝手に>と言ってもここは母と父の家であり、家賃を負担していない僕には文句を言う権利がない、子供の僕は常にそう思っていた。

 

なぜ掃除について書いているかというと、最近また掃除をする仕事に就いたからだ。

 

掃除をしているとよく考える。

 

綺麗にしても明日には汚れて

昨日と同じのように綺麗にする

 

この流れを毎日繰り返す。

 

物質的な何かが生まれるわけでもなければ、感謝を述べられることはそうはない。元々腰の悪い僕は少し休みながらではないと、翌日の朝に痛みが残る。

 

しかし僕は掃除よりも人に役に立ってると感じる仕事に会ったことがない。そこには圧倒的な充実がある。<やべぇ俺けっこう役に立ってるじゃん>という充実感。人に言われなくても分かっているのた。

 

だって

ぼくがもし掃除をしなければお客さんたちは気持ちよく過ごすことができないだろう。誰もうんこがこべりついた便座には座りたくはないだろうし、カビの生えたお風呂場で体を流したくはないだろう。

 

お客さんは汚れにGive a fuckするのだ。

 

未来では人間が掃除をすることが珍しくなっているかもしれない。ロボットが完全にしてくれるだろうから、人間がすることと言えばロボットのバッテリーの充電くらいだろうか。 

 

もしそんな世界になったら?

 

掃除型エンターテイメント施設を作ろう。

産業化によって人間は肉体労働から離れ、身体からは筋肉も離れることになった。

現代人はジムにいくだろう。あれはジムにいって重りを挙げないと筋肉をつける機会がないのだ。動物的な本能、みんな体を動かしたくて仕方がないのだ。

だから人間と同様、いや人間以上に掃除ができるロボットが生まれたら、人間はもう掃除をしないだろう。

 

だから、きっとみんな掃除をしたくなる。

 

そんな下らないことを考えながら

今日もほこりを払う。

払ったほこりで家賃を払う。

そんな暮らしをしています。