お前、もうやめろよ

風呂に浸かり自己啓発書を読み漁っていた。

 

15歳の時だ。何でもいいから成り上がらなければいけないと思い中学卒業と同時にプロのバスケットボール選手の育成学校に入った。

 

なぜバスケットを選んだか?

 

単純に僕の短い人生の中で何となく続けていた唯一のものであったからだ。お世辞にも上手くはなかった。小学校でも中学校でも<木偶の坊>と呼ばれていて、所属したチームで常に一番下手であった。

 

それでもプロを目指した。

 

父の親の死がそうさせた。

 

<せめて僕はやらないと>

 

父は常に成り上がろうと必死だった。色々なサイドビジネスに手をつけていた。しかし、成功はしなかった。

そして50歳という若さで死んでいった。

 

兄弟、中学の先生、友人から<お前冗談言うなよ>というリアクション。誰も僕がプロの選手としてコートに立つことなど信じていなかった。

 

結局

僕自身もその夢を信じられていなかった。

 

育成学校を半年でやめた。

 

<お前もうやめろよ>

 

使い物にならずにチーム内で嫌われ、精神を病むようになり、体が硬直していた。

 

しかし、諦めずにひとり上京して茨城にあるクラブチームに入った。

 

そこでも評価は変わらず

<お前は使い物にならない>の日々。

 

毎日、体育館でボールをついて、ジムで体を鍛え、家ではパソコンの前でプロのプレイを分析した。

 

しかし、17歳でその夢は終わった。

 

腰を怪我して痛みで体が自由に動かせなくなっていた。もともと体が強いわけではなかったが、無理をして鍛えたつけが帰ってきた。

 

首はヘルニアになり、腰は分離骨折、足首は緩くなり、最終的に心まで怪我をした。

 

結局、最初から最後まで

<使い物にならない木偶の坊>という評価は変わらず、誰からも求められずに終わった。

 

僕はあまりこの経験を語ってこなかった。

ただ恥ずかしいからである。

 

筋肉はすぐに衰えた。

勉強もしてこなかったから、頭も悪い。

高校に行っておらず友人もいない。

 

アルバイト先でも<使い物にならない>と思われていただろう。一度に複数のことを考えれずに迷惑ばかりかけていた。

 

17歳にして僕の人生は絶望に満ちていた。

 

<これからの先の人生は長い>という事実も嫌で嫌で仕方がなかった。

 

バスケットもアルバイトもやめて行った香港から帰国した帰りの電車で

 

<プロになれなかった。たくさんのお金を僕のために払ってくれたのに無駄にしてごめんなさい>

 

乗客がそこそこ乗っていた車内で香港旅で買ったサングラスをかけ、泣きながらメッセージを送ったのを今でもよく覚えている。

 

育成学校、2つの通信制高校に上京代。

低く見積もっても500万円を母は支払わせていたからだ。

頑張ってお金を捻出した母の努力を

ことごとく無駄にした。

 

今こうやって

書いているだけでも辛いものだ。

 

しかし、バスケットをしていて

一度だけ誉められたことがある。

 

茨城のクラブチームのキャプテンが言った。

 

<お前ピック&ロールの身体当て方うまいな>

 

ピック&ロールはボールを持った選手のディフェンダーを身体でブロックして空間をつくる戦術のひとつである。

 

ボールを持った選手がゴールに向かうためのスペースorパスコースを作る行為だ。

 

すごい嬉しかったな。

 

でも失敗は失敗だ。

 

しかし

この失敗経験がなければ

僕は今のような人生を

生きることはできなかった。

 

15歳の僕に

<よくやった>

そう言いたい。

 

よくやった。