ある事情からこの日記ブログに文章を書くことをやめていたが、やはりこの気軽さがまだ捨てられそうにないため、また書き始めてしまう。労力を一点に集中できれば、と思うことが多いが、快楽に身を任せてしまう。現時点で、「後悔」の❝こ❞という文字がすでにこちらを覗いていることは見ていないフリをして文字を打っていこう、今日だけは。

 

今日、道を歩いていたら、白いシャツを着たお兄さんを見かけた。カフェの前で、電話をしているお兄さんだ。若者というには少し年を食っており、もちろん中年者でもない場合、僕はお兄さんと言うようにしている。お兄さんの白シャツは見るからに風通しが良さそうで、一見すると麻のような生地質で、今日の札幌の天気にはとても合っていた。お兄さんは電話をした後にカフェへ戻っていった。

 

しかし、麻っぽい白シャツのお兄さんを目にしただけで文章を書き始めるほど、僕は暇ではないし、白シャツのお兄さんというだけで文章が書けるほどの創造力の豊かさも近頃は影を潜めている。いや、暇はいくらでもあるが、創造力は確かになくなった。元からないか。ひとつハッキリしていることはもう少し苦労しなければいけないということ。今はかなり楽で堕落した生活の中にいる。 

僕は思い切って、お兄さんに話しかけた。

「もし間違っていましたら申し訳ありません。Hさんでしょうか?」

 

Hさんは僕が19歳のときにインドで貧乏旅行をしているときにお世話になった映画脚本を行う方であった。面白い青年だ、と言って僕のドキュメンタリー映像を撮ってくれた方だ。ドキュメンタリーと言っても、映像内で僕は一言も発していなければ、カメラを意識した動作も何ひとつしていない。映像の最後で高いだけで、特別旨くもない珈琲か紅茶を啜りながら、カメラを向けられていることに面白おかしくなって笑っただけだ。場所はダージリン。紅茶が有名な地域であった。

 

Hさんは僕がインド・バラナシの安宿で働いていたときにお客さんとして来た。宿に入っては否や、レセプション前のソファーに腰を深くかけてため息をついていた。移動で疲れているようだったが、その後、旅を共にした少しの期間で、タバコを吸った時か値段交渉をする以外、H氏は基本的には疲れた顔をしていた。

 

最後にHさんと会ったのは今から4年近く前、最後の挨拶の詳細は覚えていないが、場所は確かインド・コルカタであったと思う。Hさんは映画脚本家として、僕は何者かになりたい青年として、夢を多く語って、さよなら世界のどこかで、をした。それから、日本に帰ってきてからも、何か契機がある度に、Hさんとはメッセージを取り合った。大学を中退するかもしれない、恋人ができた、演技がしたい、文章を書きたい、などHさんからしたすこぶるどうでもいい内容ばかり送り付けたが、すべて丁寧に返信してくれた。

 

しかし、あるタイミングでHさんの連絡先を喪失してしまい、その後は連絡が取りたくても取れない状況になってしまった。僕の記憶に住むHさんも影を潜めるようになったが、それでも時々思い出していた。

 

やはり、Hさんであった。

4年ぶりの再会。それも最近住み始めたばかりの札幌で。今日は歩くはずのなかった狸小路という商店街のカフェの前で。たまたま顔を上げて歩いていた視界の中に。

 

こういうことってあるんだなぁ~、と感慨深く思うしかなかった。インド・コルカタから札幌の狸小路までの距離がどれくらいか、調べて書けば文章の完成度は高まるが、それすらも放棄してしまうくらい、様々な記憶や想いの中を旅させてくれ今は、という感じなのだ。

 

Hさんは現在、不動産会社を興して忙しいようで映画へ使える時間がないと言っていた。それを聞いて何だか少し寂しい気分、取り残された気分がしたことに嘘はつけないが、旅を共にしていた時にHさんはこう言っていたことを思い出す。

 

「ぼくが映画で成功するのは60代に入ってからだろうね」

 

僕はもう少し早く成功したいから、なるべく文章の無駄遣いはしないでおこう。