太陽

他に方法がないのである。この痛みを取り除く方法というものが分からないのである。

 

この狭い部屋に入る前は、太陽が身体に与えてくれる温かみ、心に与えてくれる安心をこれほどまでに感じることはできなかった。

 

でも、どうやら僕と同じ服に身をまとった、僕の周りの人たちも、僕と同じことを思っているようで妙に親近感がわいてくる。

 

太陽が出てくると、みんなが窓に少しでも顔を近づける。ある者は松葉杖で壁に寄りかかり、ある者は車椅子を壁に付け、少しでも太陽を感じるために顔を近づける。僕もその一人になった。

 

生活は2ヶ月を過ぎようとしている。

夜も痛みが強制的に目を開けさせ、瞑ることが許されず朝が来る。心身は共に疲れ切っている。それでも、身体を動かさねば。無理にでも動かさねればいけないらしい。

 

いま感じている疲労感が一体いつのものか。分からない。

もう自分が何をやっているのか分からない。昨日は誰と会って何を話したのか、ましてや、どう1日を過ごしたのかなど聞かれても思い出せない。しかし、今日があるということは昨日を越した何よりの証拠である。

 

崩れるものは崩れきったような気がするが、これから幾度となく雪崩れが襲ってくるのは目にみえて分かる。それでも、今こうして太陽を浴びながら、太陽について書ける喜びのようなものを感じる。

 

全然大丈夫なのだ。全然大丈夫なはずなのだ。それを自分で一生懸命に理解し、周りも必死にそう訴えてくれるのに、やはり今はそう心から思えないのである。

 

でも、太陽、今日もありがとう。