もし美術館に鳴り響くシャッター音を岡本太郎が聞いたら

パチャ、パチャ
パシャ、パシャ


パリにある美術館を訪れて驚いたことは
多くの人が作品の写真を撮っている光景。

観光客の大半は片手に
スマートフォンカメラを持っている。

"展示されている全作品を写真に収めるつもりなのか?"
そんな勢いの人も見かけます。

まるで流れ作業のようです。
カメラ越しの作品にしか興味がないように見受けられます。

このような光景は日本では見たことがないゆえに

"芸術との向き合い方は果たしてこれでいいのか?"

"そもそも写真に収めたところでInstagramなどSNSに投稿するだけじゃないのか!"

そういう否定的な意見を持たざるおえません。

それはおそらく僕の中で美術館は
「観光スポット」という位置づけではないからだろうと思います。

いや、間違えなく僕が美術館に行くという行為は観光そのものなのですが
その高い衝撃度を観光という枠にはめてしまうことに違和感を覚えます。

ここで突然ですが、ひとつ妄想をさせてください。

シャッター音が鳴り響いて止まないパリの美術館の中を
もし岡本太郎が歩いたら一体彼はどう感じるのか?


17歳くらいの時に
「自分の中に毒を持て」という本で
岡本太郎に出会ってから
盲目的に彼を崇拝し始めた僕は考えます。

恐らく
岡本太郎は写真だけ撮って足早に作品を後にする鑑賞者について

「今では芸術作品はInstagramのイイネを増やす道具へと成り下がってしまった」

と嘆くのではないでしょうか。

しかし、肯定的な発言をする可能性も十分にあるかもしれません。

その理由は
岡本太郎が「日々の生活の中に芸術の風を吹き込むことに力を入れていた」からです。

彼は椅子やコップなどの日用品から
ウイスキーボトルに付属されているおまけまでプロダクトデザインにも精力的に行っていました。

芸術はアーティスト、美術館の鑑賞料を払える人またそれを買える人だけのためにあるのではなく、「芸術はすべての人々の為にある」という思想が彼にはありました。

なんだかこう考えてみると

作品の写真を取ってSNSへ流す行為に
否定的な態度をとることは
必ずしも正しいとは、と思えないのです。

そもそも芸術との向き合い方に正誤なんてないのでしょうが
悪い癖で物事を考える出発点を
「正」か「誤」どちらかを選んで話を進めていってしまいます。

何はともあれ
昔より芸術に触れる機会は圧倒的に増えていると思います。
インターネットで何もかもが圧倒的に増えています。
これからもどんどん増えていくのでしょう。

芸術もその流れの渦中にあるのは間違えありませんね。

今回
僕がこのような日記を書こうと思ったのは
芸術作品を写真に撮る無数の人を見て
「これから先の時代、芸術との向き合い方はどのように変わっていくのだろうか」
そう思ったからにすぎません。

ちなみに最近の僕の芸術との向き合い方は
音声ガイドで解説を聞きまくり、帰宅後に気になる作品や理解できなかった芸術用語をググる
そんな感じで、自分の感性ではなく機械を頼りするスタイル。

以前より
何だか芸術がわかったような気がするのは
知識の蓄積がそう思わせているだけ。

もっと深くまでわかってみたいです。