痩せていく私の現実感

冷たい床に熱が奪われ
固いバックをまくらにして肩が凝った
身体を起こしてブランケットに包まる
広い夜の空港を ひとりの清掃員が
モップで床をこすり進んでいく
(1,15,2018 上海浦東国際空港で書いた文章)

最近はまた現実感が掴みづらくなってきています。
久しぶりです。
この感覚が続いてしまうのは。

言葉に表すのはとても難しいのですが
視点が第三者的になるのです。

たとえば、いま僕の目の前には
ソイラテが入ったコーヒーカップがあります。

僕はこれを手にとって口へ運びます。

ゴクっという音と共にソイラテが気道を通っていきます。

この日常的な動作にも現実感を
イマイチ感じることができないのです。

そして
現実感のことを考えれば考えるほど
それは遠のいていくのです。

僕の脳が身体へ
「ソイラテを飲むんだ」という信号を
送っていることは間違えありませんし
僕もそれを認識していきます。
もちろん、喉への潤いも感じます。

現実感を失うという非現実的なことに悩むのは正直辛いものです。

離人症と診断された16,17歳の当時は悩みました。

「自分の人生なのに自分が生きている感覚がない」

しかしそれが故、
僕は旅をすることができたとも言えるでしょうか。

感覚がとても鈍くなるのです。

美味しいご飯を食べる喜びや
良い映画を観る感動が薄くなってしまうのです。

僕は環境を変えることによって感動を求めました。
それが僕の旅の動機です。

しかし
なぜまた今になって非現実感に包まれているのでしょうか。

科学的な原因は僕には何ひとつわかりません。

分かることはひとつ。
僕はやせ我慢を続けているのです。

僕のやせ我慢は意志ではなく
家庭など置かれてきた環境がそうさせたと思います。

エゴイスティックで我慢しない人間になろうと
努力した時期もありますが
結局失敗に終わってしまいました。

そして、やせ我慢に回帰し
今ではそれが「物事そして人生の本質をつかむことのできる態度ではないか」と考えているんですね。

人生の本質、これまた曖昧な言葉を。

恐らく、僕にとって人生の本質とは「考えること」

そしてできれば「納得する」ということです。

まぁ納得することなんてありません。

そして、22歳が考える人生の本質などは本質ではないでしょう。

この非現実感は今の生き方を考える良い機会なのか。

そうでなくても

やせ我慢でそうであるように振舞います。

思考が痩せなければ、おっけー牧場。
(ひたすら古い)